アンスネス、シューベルトについて語る

アンスネスは文句なく素晴らしいピアニストで、アンスネスシューベルトはとてもいい演奏なのになぜか心に響かない。
彼独特の清々しい見通しの良い演奏は演奏家として好感が持てても、シューベルトの世界とは違うような気がする。


アンスネスとは違うタイプの音楽家だけど、ブレンデルもそう。上手いしバランスも良い、構成もきちんと考えられている。でもシューベルトの音楽は彼に対する「共感=シンパシー」が絶対だ。シューベルトの音世界は彼に対する共感の深さと大きさがどれだけ有るかにかかっていると思う。


じゃあ、シューベルトへのシンパシーが感じられる演奏家って誰?と言えば、いつも通りの答えだけど、内田光子、コヴァセヴィッチ、シフとかになる。(ペライア田部京子、ピリスとかのシンパシーのレベルでは心は打たれない。)


で、アンスネスに戻るけど、アンスネスの演奏は技術的にも上手だし見通しが良い。情感もあるし、感性も鋭い。とにかく完成度は高い。
でも、シューベルトを演奏するには、何かが足りないように思う。その「何か」を掴んだら本当に人の心を強く打つような凄い演奏家になるのに、と思わずにはいられない。


で、最近レコ芸に出てたアンスネスのインタビューで、なんとなく理由がわかってきた。彼はインタビューの中で、シューベルトに取り組んで「疲弊した」と語っていて、またシューベルトは「抽象的で難しい」とも表現している。


いや、納得!!
正にこの部分がシューベルトの魂を掴みきれていない理由だと思う。シューベルトは彼自身に共感すれば抽象的とは全く反対の音楽であるし、共感していないから疲弊するのだ。内田光子があるインタビューで、「どんな作曲家に取り組んで集中している時でも、ちょっとシューベルトを弾いてみると止まらなくなるんです。なんて美しいんだろうと、ひたすら耽ってしまうんです。」
内田光子のようにシューベルトの孤独を分かち合い、彼の私小説的な音世界へ逃げ込めるような魂の共有がないと難しい。もしくはシフのシューベルトへの愛情に満ちた視線、コヴァセヴィッチのシューベルトの絶望への共感。共感が無く、彼の世界が理解できないからこそ、「抽象的で難しい」と言ってのけてしまうのだろう。(これにはさすがに自分もビックリしたが...)


インタビューだけで独断するのも良くないのだが、彼のインタビューから若い頃から安定していて満ち足りた人生を送っているのがわかった。多分、ここの辺りが違うのだろう。彼のベートーヴェンも彼がもっと年をとったら感動するような演奏になるのだろうか?シューベルトは年を取ったからといって良くなる事はないので(年を取って人生を振り返るような枯れた要素はシューベルトには皆無だから。)、すでに30を回って「シューベルトが抽象的で難しい」と言ってしまったアンスネスシューベルト演奏で感動することは多分もう無いだろうな。