内田光子:シューマンの録音

発売時にすぐに買ったのだけど、なかなか感想を書かずにだらだらと楽しんでました。

内田光子にとって15年以上前の「クライスレリアーナと謝肉祭」以来のシューマンの録音とのことで、久々のシューマンは内田ファンとしても特別な期待があったかな。
クライスレリアーナと謝肉祭の演奏も素晴らしく(特に謝肉祭が良かったと思う)何度も聴いてる愛聴盤だけど、今回のダヴィッド同盟舞曲集と幻想曲はさらにより彫りの深い自由な演奏を展開していて、内田光子という演奏家自身のイマジネーションと作曲家に対する真摯な思いや向き合い方に改めて感心し、シューマンの音楽についての演奏表現に対する多様な可能性というものを考えさせられた。

今回の録音ではダヴィッド同盟舞曲集の方が内田光子に合っていると個人的には思う。幻想曲ももちろん素晴らしい演奏ではあるけども、ライブでのみ耐えうる表現の濃さのようなものが破綻寸前の限界までに達しているためシューマン内田光子という双方の滑稽な部分やアンバランスさが目立ってしまうのだ。それと較べてダヴィッド同盟舞曲集や謝肉祭は各曲の短さや性格の多彩さが内田光子の圧倒的な想像力豊かな演奏にも耐えうるタイプの曲で、すんなりと曲の素晴らしさが浮き彫りにされている。

多分今回の内田光子シューマン独特の彼の現実逃避的な浸り癖のような部分を120%表現したかったのだろう。幻想曲になるとそこにウィーン風な濃い味付けもついているので自分にとっては多少キツく感じられたのかもしれない。

ただどちらの曲にしても内田光子の表現の比類無い美しさがシューマンの繊細な響きをさらに昇華させていてため息ものだったのは確かで、幻想曲にしてもライヴで感じた没頭し過ぎな所も多少は抑えられている為、全体のバランスはきちんとあるので安心して(笑)楽しめるし、幻想曲の終わった後の余韻は今までの他の演奏家による幻想曲には無いレベルのものだった。

ちなみにBBCラジオでのインタビューで、内田光子はこの録音について本来は彼女の2台のスタインウェイをそれぞれの曲に使うつもりだったのだと言っていた。
シューベルト録音に使った彼女の1962年のスタインウェイは極めて繊細な音を可能にしてくれるのでダヴィッド同盟舞曲集に、もう一つの1990年代の大きなスタインウェイは彼女曰く若々しくてパワーがあるので、よりスケールの大きな幻想曲に合っているのだと。ところが録音してみると幻想曲にも1962年のスタインウェイの表現力が必要と感じ、音の力強さには限界があるけども敢えて繊細な表現を優先したのだとか。

ま、何にせよ表現を信じて可能性を広げる素晴らしさを感じさせてくれた録音だったと思う。