アンドラーシュ・シフ リサイタル

アンドラーシュ・シフ リサイタル 2011/2/15
オール シューベルト・プログラム
東京オペラシティ タケミツメモリアルホール

・D780 楽興の時
・D899 即興曲
・D946 3つのピアノ作品
・D935 即興曲

今回の来日でシフはオールシューベルト以外にオールバッハ(平均律)、オールベートーヴェン(最後の3つのソナタ)のプログラムを行なっているんだけど、行きたかったバッハがソールドアウトだったのでシューベルトを購入したわけです。でも結果的にシューベルトプログラムがやはり一番正解だったかもしれない。

シフのリサイタルを聴くのははカーネギーでのオール・モーツァルトプログラム以来10年振りで、その時は変なモーツァルトだなと大して感動しなかったのですが、今回は...結果的には最高でした。プログラム前半は全然イケてなくて心配してたら、後半で見事にシューベルト弾きとしての面目躍如以上の最高の演奏をカマしてくれました。

前回の見たときは既にヨボヨボのおじいちゃんの印象で、10年経ってどうなることやら心配してたのですが余り変わらずの見た目で舞台に現れたシフさん。まずは楽興の時。
最初はフツーに聴いてたのだけど、余りピンと来ない。彼の楽興の時の録音は良いので当然ライブで凄い演奏を期待していたけど、今日のシフ先生は何かボンヤリしたピンボケの印象。感心したのは第三楽章のリズムのアクセントの上手さぐらいで、その他は「ふーん、上手い素人とどこが違うのだろう?」とか感じてしまった。この曲は技術的に簡単すぎるぐらいなので、プロが「そこそこ」の演奏をしてしまうと痛い。(ま、アラウみたいに小学生よりも酷い?みたいな楽興の時を録音してしまうプロもいるわけだけど...)ピアニズムと表現力が問われてしまう曲なだけに、シフのこの演奏は「へぇ〜」で終わってしまった。

次の即興曲(D899)も...結構上手いんだけど、極上のシューベルトでは無く、ビシっと刺さってこない。この即興曲の一曲目なんてのはシューベルトの人とやらを凄く表していて典型的な後期の彼の曲の展開なんだけど、シフの演奏は何だか全ての角が取れてしまっている印象。2-3-4曲目は柔らかく美しさが目立っている曲だから何とか綺麗に乗り越せた感じ?

前半の問題の多くはシューベルト演奏で最も大事な要素の1つである「和音のバランス」が悪かったこと。シューベルトの音楽はとても繊細。しかも彼独特の世界は3度5度の組み合わせからメロディが移り変わる様。これは和音の各音がバランス良く柔らかく発音されないと難しい。内田光子なんかはここをかなり気を付けていて、シフは割とこの辺りをメロディ重視で軽視してる傾向があるのだけど、今回はさらに悪くて和音のバランスだけでなく右手と左手のフレーズのバランスさえも崩れていたと思う。メロディ先行で弾いていて変にフレージングを崩した所に左手が上手く噛み合わず...と来たので「今晩は失敗かも...」と先行き重い感じの前半でした。

ところがです。後半の演奏はまるで別人?というか、一曲ずつ調子を取り戻したというべきなのか、最後に向けてどんどん凄くなっていきました。

3つのピアノ作品(Drei Klavierstucke)は音のバランスや全体の骨格も繊細かつシッカリしてきて、コントラストやレンジといった部分も素晴らしい。いや〜、シューベルティアンの面目躍如!と思ってニンマリしてきたところに最後の即興曲が始まるともう顎が外れるほど素晴らしく、息をするのを忘れるくらいでした。

実際、こういう時に会場の観衆も同じ反応をするもので、即興曲の最後の曲になるとそれまで隣でスーハースーハー荒い息をしていたデブのオジサンさえも無音に!会場全体も真空になってましたね。とにかくD935でのシフは凄すぎて言葉に出来ないほど。音楽が限りなく柔らかく自由自在でシューベルトの想像の世界に連れてかれるような感覚に囚われてしまい、演奏が終わった時には初めて空を飛んで地上に戻ってきた時に出るようなため息しか出ませんでした。

それからシフの演奏と言えばベーゼンドルファー。内田さんやコヴァセヴィッチのようなスタインウェイのビシバシキラキラの音も素晴らしいですが、古いベルのような音のベーゼンは生で聴いてもやはり美しい。キーンと一直線に届かずに広がるベーゼンの音は味わい深くシューベルトの音楽にも合ってる。一応、演奏会が終わった後で舞台に行って撮ってしまいました...私は楽器に疎いのでインペリアルかどうかはわかりませんが...

アンコールのハンガリアンメロディ(D817)とグラーツギャロップ(D925)も柔らかく極上のデザートのようで、まぁアンコールだから余裕なのは当然なんだけども。
彼の演奏の何がグレートだったのか説明できれば良いのですが、こればっかりは行った人だけが共有できるものだし、本当に連れていかれてた感覚だったので何とも説明のし難い演奏でした。作曲家の中で一番好きなシューベルトのこの即興曲を聴けただけでも9000円の価値はありましたね。