コヴァセヴィッチ シューベルト D959

コヴァセヴィッチのシューベルト ピアノソナタ20番 D959をやっと手にいれたので感想を。
最後のソナタである21番 D960の録音が内田光子と双璧の完成度だったので是非手に入れたいと思っていた録音です。


演奏はやっぱり超A級で満足ゆくものだけども、内田光子のD959ほど感動はしなかった。
コヴァセヴィッチの演奏は全体のテンポ感を揺らす事無く統一感を持ってバランスも素晴らしい。
でもこれが何かが足りないと感じられた理由かもしれない。


内田光子のD959は第二楽章で正気を失って崩壊寸前まで行くような危うさを最後の美しい第四楽章まで残している。4つの楽章それぞれが全く違う性格として演奏されつつも個人の感情のストーリーとしてバランス良く展開していた。しかもシューベルトの暖かみを求める情感と崩壊寸前の部分とが背中合わせになっている楽曲の魂を実に良く捉えている。


コヴァセヴィッチのD959はとにかく美しい。シューベルトのどんな破壊的な慟哭をもこの世の音とは思えないペダルを効かせたスタインウェイのクリスタルな音で紡いで行く。どんな強烈なアタックも余りにも美しくてうっとりとしてしまう。そこからシューベルトの音楽の傑出した美しさは見られても、作曲家が現れてくるようには感じられなかった。


カップリングされていた楽興の時がこれまた美しい。
内田光子同様この人も聴き手をハッとさせるフレージング満載で、フレーズの切り替えで音をフワっと変えて行く身振りが本当に美しくて、決して濁る事の無い透明な氷の世界でのシューベルトが味わえる。


楽興の時の演奏で一番好きなのはアンドラーシュ・シフ
シューベルトの小品を弾かせてこの人の右に出る者はいないと思う。シューベルトの小品には地獄的もしくは破壊的な部分は無く、冬の陽光に感じ入るかのような作曲家の暖かみを感じられる。内田光子やコヴァセヴィッチの演奏には何か黒いものが潜んでるのだが、シフの演奏の暖かさが小品のシンプルな美しさを救っている。


気になったのが録音の残響の大きさ。とにかくリヴァーヴが凄くて、ペダリングをたくさんかけるコヴァセヴィッチには余り必要ないのではと感じられた。